赤ちゃんが好きで助産婦を志し、助産婦になって今年で30年。助産院mamitaを開業し20年が経ちました。
私の母は、長姉を病院出産、次姉を自宅出産、3人目の私を助産院出産しています。私は、自分が生まれた時のことはもちろん、自宅出産にも興味があり、いろいろと話を聞いていました。
父の仕事の関係で長崎県の五島列島に住んでおり、次姉の自宅出産の時は、隣の島から産婆さんに前もって来て、待機してもらっていたそうです。しかし、私の中では、自宅出産や助産院出産は過去のことというイメージが強く、身近に感じるものではありませんでした。
就職の時は、母子専門の病院で働くことを望み、東京女子医科大学病院母子総合医療センターに入職しました。NICUでは、手術を必要とする病気や体重1000g未満の赤ちゃん達が呼吸器を付けて、24時間明るく、モニター音の鳴り響く中で、いのちと向き合う状況での仕事でした。慣れない環境の日々に、私は緊張と不安で急性胃腸炎で入院したのを今は懐かしく思い出します。お産もハイリスクの方が多く、医療の最先端の中で、本当にいろいろなことを幅広く学ばせて頂きました。
そんな中、助産婦の友人が結婚・妊娠しました。そして、「自宅出産したいからサポートして!」と――今から25年程前の話です。その時の私は、「今の時代に自宅出産?!」とびっくりすると共に、「病院の中では助産婦として働いているけど、今の自分に何が出来るのだろう?」「病院では医師がいて産ませる手段がいろいろあるけど、一歩外に出たら何も出来ない。私は名ばかりの助産婦なんだなぁ」「今のままではいけない!」「もっと学びを深め視野を広げて自立した助産婦になりたい!!」と思うようになりました。
結局、友人は妊娠初期に流産し、私が自宅出産でサポートすることはありませんでした。しかし、友人はその後3人のお子さんを助産院出産し、私もそれがきっかけとなり、人生が大きく変わることとなりました。妊娠初期に流産という短いいのちでしたが、その赤ちゃんが来てくれたからこそ、今の私がいます。人生は長いに越したことはありませんが、長い、短いということより、いのちが存在したということに意味があり、人とのご縁のありがたさに、感慨深いものを感じています。
それからの私は、自然なお産・自宅出産・助産院出産の学びを深めたいと思い、ご縁があったのが、福岡県春日市にあった春日助産院でした。春日助産院で関わらせて頂いた赤ちゃんとお母さん達から、今までとは違う視点での「自然なお産」とはどういうものか、厳しくも素晴らしい世界を、深く学ばせて頂きました。
助産院という、地域に根ざした場所で働くことで、産後のお母さん達の多くが困っており、長期的な支援が必要であることを感じました。また、産婆さん達先輩方が守り続けてきた、日々の生活の中にある自然なお産を、助産婦として守っていきたい、数は少なくても望む方がいた時に、サポートする開業助産婦が必要ではないかと思い、開業しました。
現在は、「助産婦」ではなく「助産師」と名称が変わっています。しかし、私は日々の生活の中にある自然なお産にこだわり、産婦さんをサポートしたいと思い開業したので、今でも「助産婦」と名乗らせていただいています。
開業してしばらくは、自宅出産のサポートを中心に、妊娠中から産後まで、出張専門で活動してきました。鹿児島県の種子島や長崎県の対馬など離島にも出向き、予定日の2週間前から滞在して、お産のサポートをしたこともあります。
両親から聞いていた離島でのお産を、まさか自分がサポートするようになるなんて、人生、何があるかわからないものです。
開業20年のうちのほとんどは福岡を拠点としつつも、県外のさまざまな方ともご縁があり、遠くまで出向くこともたびたびありました。しかし、産み育てるお母さん達の環境は時代と共に大きく変わり、産後うつ等、孤立した不安の中で過ごしている方も増えています。
いつでも受け入れ、寄り添う場所が求められていると考え、開業16年目にお産・入院が出来る有床の助産院を福岡県福岡市にオープンしました。
今は、自宅出産を続けつつも助産院出産を希望する方が増え、一方で病院で出産された方の産後ケアの依頼が増え、集える場所の必要性を強く感じています。また、学生の実習依頼も増えました。学生と共に、どこで働くにしても助産婦達が繋がり集う場にもなりたいと思っています。
開業当初は1人で1歩を踏み出しましたが、今では、共に歩みを進めてくれる仲間も増えました。今現在、私も含め助産婦6名、お料理スタッフ4名、事務1名となり、スタッフみんなに支えてもらっています。
①妊娠・出産を通して赤ちゃんやお母さんが大切にされた、愛情を持って関わってもらえたと感じる関わりをしていく
②この子を産んで良かったとお母さんやご家族が思えるお産や子育てになるように関わっていく
③心地いい距離感で寄り添う(必要な時はぐっと近づき、そうでない時は距離をおいて見守る)
④先人達の知恵・技を学び大切にしつつ、今の時代の赤ちゃんやお母さんに対応したケアをしていく
バースハピネス・バーストラウマという言葉があるように、産んで終わりではありません。その後の子育ては、どんなお産をし、その時産婦さんが人間として尊重され大切にされたと感じられたかが、鍵になると思います。出産場所や産み方も勿論大切ですが、どこでどのようなお産をするにしても、人のぬくもりを感じながら安心して赤ちゃんを迎えて欲しいと思います。
どこで働くにしても、医療者同士が助け合い、地域・行政と繋がり、社会全体でお母さん達ご家族をサポートするために何が大切か、常に考える必要があります。赤ちゃんやお子さん達がお母さんやご家族に気づき・学び・喜びを与えてくれるように、私達も、赤ちゃんやお母さん達から気づき・学び・喜びを与えて頂いています。これまでご縁あった赤ちゃんやお母さん達との関わりの中で培われた、自分の物差しや引き出しを大切にしながらも、あまり決めつけない関わりをしていきたいです。
お産に関わっていると、いのちを削る程の想いで信じて待つ時もあれば、「いつ死んでも人生悔いなし」と思う程の感動に満たされる時もあります。個性あるいろいろなご家族に対応出来るよう、助産婦を続ける限り、私自身も五感を研ぎ澄ませ人間力を高めながら、一生学びの日々だと思っています。
赤ちゃんを迎えるお母さん達も、どこで産むにしても「自分で産む!」という準備と覚悟が必要です。同じように、助産婦を続けていくのも「赤ちゃんやお母さん達を守る!」という準備と覚悟が必要です。お母さんや赤ちゃんの産む力・生まれる力・育つ力を引き出し、高められるよう、赤ちゃんやお母さん目線で、これからも日々の積み重ねを大切にしています。
「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」の精神で、1つのことを長く続けるからこそ、改めて助産婦としての自分の在り方を考えていきたいと思います。
人生を終える時に「助産婦人生悔いなし」と思えるよう、必要として下さる方がいる間は、もう少し助産婦を続けさせて頂く所存です。
2020年 田中 みちえ
院長田中みちえ
住所〒815-0073 福岡市南区大池2丁目12-3(駐車場完備)
TEL/FAX092-553-5503
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